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「魔性の子」表紙のネクタイカラーは何故変わったのか?⑤

(ネタバレ注意)

前回の記事では、イラストレータ山田章博氏は旧版の表紙を描いた当時では、十二国記の世界をまだ知らなかったという話しをした。


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左から旧版魔性の子、新版風の海 迷宮の岸 新版魔性の子 と並べてみた。こうして見ると、なんとなく思えてくるのは新版と旧版の表紙は対になっている。手前から広瀬→高里→汕子と傲濫と妖魔→廉麟(多分)という順に並んでいる。読者の立つ側が手前であり、広瀬は読者側であることを示唆している。異世界ほど奥側に配置されており、両方の世界を行き来する高里は中央に挟まれている。作画当時、読者達と同じ知識背景を持つ山田氏が描くなら当然の構図といえる。

 

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旧版当時は、読者にとって広瀬が読者側を反映する立場だった。しかし、新版では配置は変わり、むしろ手前から高里→汕子→広瀬に変わっている。これは、十二国記シリーズを既に読んだ圧倒的多数の読者が入り込むのは、むしろ高里のほうだからではないだろうか。新版出版時に、既に黄昏の岸 暁の天まで出版されており、十二国記の世界を知っているであろう読者に向けて、山田氏が構図を変えたのも頷ける。

 

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作中で高里は周囲に疎まれ、孤立する。実は呪いなどではなく、二つの異なる世界の理の違いが生む悲劇であることを、我々読者は知っている。これは、十二国記の世界を知らない登場人物と読者からは、彼の周囲で起きる不可解な事件や事故は、不条理な呪いの結果にしか見えない。あくまで、旧版魔性の子は不条理なホラー作品であった。

 

 

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新版での魔性の子の位置づけはエピソード0だ。私は黄昏の岸 暁の天の直後に読んだが、二つの世界が鏡合わせのようにリンクしており、二つの出版が10年も隔たっているとは思えないほど密接に書かれている。十二国記シリーズとしての魔性の子は、行方不明となった泰麒の飛ばされた世界を描く、むしろ現実世界のほうが番外編であり裏設定だ。

視点が切り替わると、不条理が条理に見える。この仕組みは見事だ。蝕の影響による高潮で亡くなった数百人すら、麒麟達の活躍によって最小限の被害に抑えられた結果なのだ。現実世界からは、ひたすら不条理に晒されているように見えた広瀬も、十二国記世界からすると病んだ使役に接触し、蝕に直面しても生き残った、むしろ非常に幸運な人物に見える。ラストシーンでは、広瀬は高里(泰麒)を海岸に残して、高台へと逃げ出す。絶望的に見えたこのシーンも、ありもしない世界へ帰りたがる夢想を辞めて、辛い現実と対峙し続ける姿勢を示唆する、むしろハッピーエンドなんじゃないだろうか。

 

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話が逸れるが、作者の小野不由美氏の作品にとって、不条理とは非常に重要な要素だ。残穢で描かれた呪いは、元をいくら追ってもキリがない。屍鬼で描かれた惨劇は、普通の人間にとって自然災害のように不条理だった存在である吸血鬼が、途中から立場が入れ替わり人間側から不条理な目に遭わされる。作者は登場人物に愛着を持たず、淡々と酷い目にあわせる天才だ。それでいて、読者はその不条理に喘ぎ抗い立ち向かう人達を応援したくなる。漫画寄生獣の作者である、岩明均はそのあとがきで、人物の心情に寄り添えばストーリーは自ずと動き出す、とよく言われる手法がまったくあわなかったと述べていた。むしろ、ストーリーに合わせて人物を作るタイプであり、彼の作風も登場人物を容赦なく淡々と悲惨な目にあわせる。なんなら、登場人物達も恋愛や殺人に対してすらクールで淡々としている。だからこそ、時おり描かれる感情が爆発するシーンに心を動かされるのだ。


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次回は、新版魔性の子の表紙が、風の海迷宮の岸の表紙とも対になっている話しをしたい。