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「魔性の子」表紙のネクタイカラーは何故変わったのか?⑧最終回

(ネタバレ注意)

前回は、「魔性の子」表紙の高里のネクタイカラーが新版で変わった理由について、蓬莱から広瀬から受け継いだ意志と、同級生らの陰惨な死を忘れない気持ちの象徴と書いた。

 

白銀の墟 玄の月 第一巻 十二国記 (新潮文庫)

 

結局、ここまで書いてきた事は推論と言うよりも私の願望に過ぎない。本当の正解はわかりえない。どちらかと言うと、私から本当に伝えたいことは、十二国記シリーズが好きだという感想だ。読んだ皆と共有したいという気持ちだ。そう、十二国記は本当に面白いのだ。

 

 

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陽子がネズミと会えて救われた時はほっとしたし、王としての自覚が芽生えた瞬間は震え、周囲の民と一緒にひれ伏したくなった。全く異なるエピソードの登場人物がしれっと再登場する度にあーっと膝を叩くし、民達が苦しい目にあってる時は自分も歯をくいしばってしまう。最新作でもそうだが、作品に一貫して描かれた麾下と上司の絆ほど尊いものは無いし、信念と義に揺らぐ武人達の姿には自分を重ね合わせたくなる。あんなに小さく子どもだった泰麒が成長した姿には、「泰麒、大きくなられて…」とか言ってハラハラ涙を流したくなる。この身を投げ出して両膝をつきたい。膝行してひれ伏したい。何より、主従で結ばれた王と麒麟の絶対の信頼関係にグッとくる。2人は最高のバディだな!と遠くから拍手を送りたくなる。単なる無力で無辜の民の1人となって、共に艱難辛苦を乗り越えたくなる。そんなただの十二国記ファンだ。

 

 

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ここまで書いた、ネクタイカラーを巡る私の一連の推論は、白銀の墟 玄の月を読み進めながら書いた。この最新作を読んでいなかった当初は、別世界へ行きたがっていた広瀬の代わりに、泰麒は十二国記世界にきっとネクタイを土産に持ち帰ったのだろう程度に思っていた。彼なりの優しさと、制作陣のちょっとしたファンサービスなのだろうと。だが、最新作を読んでからは、私の中でかなり意味合いが変わった。今後、戴国の物語や泰麒の心情について新しいシリーズで描かれる事があれば、また追記していきたい。それが何年後になろうとも。

今、18年待ち続けた十二国記ファン達にようやく追いつけた感慨でひとしおだ。ファン達が待ち望んでいた時間は、作中で6年間待ち続けた戴国の民よりも長いではないか。以前ブログに書いたが、丸善ジュンク堂書店の書店員が書いた熱い冊子が、私がこの作品に出会うきっかけだった。この冊子を作ってくれた人達に感謝したいし、なんなら一緒に熱く語り合いたい。ファンと作者が新しい世界を作っていくことは、1つの村作りのようだ。前の記事でも書いたが、こんなファン達の相互作用も含めて、十二国記は面白いのかもしれない。

 

 

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話が変わるが、「サピエンス全史」には、数ある類人猿達の中で、我々現代人とと同じホモ・サピエンスが最も生き残った理由が書かれている。ホモ・サピエンス個体同士の感受性が高く、神話や宗教で同じ幻想を共有しやすく、しかもその幻想が新しい概念が流入しても書き換え安いことが、集団としての力を発揮出来た為、とされている。かなりざっくりした要約だが、ポケモンGO流行の時にも感じたことだが、私も感動や気持ちを人と共有したいし、社会に繋がりたいという欲求をもっているからこそブログを書いてるのだから納得せざるを得ない。

サピエンス全史(上) 試し読み増量版 文明の構造と人類の幸福

 

 

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泰麒ならこうしただろう、ああしただろうと妄想する余白を残してくれた作者小野不由美氏と山田章博氏に感謝だ。