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ダ・ヴィンチ ブックオブザイヤー2020年1位は小野不由美

ダ・ヴィンチ2021年12月号に2020年ブックオブザイヤーを取られた「白銀の墟 玄の月」に関して、小野不由美氏のインタビューが記載されていた。

ダ・ヴィンチ 2021年1月号 [雑誌]

以下引用

 

Q8(前略)この長編はいつ頃から構想されていたんでしょうか。ひょっとして『魔性の子』をお書きになった時点で すぐに構想があったとか?

A 戴に何が起こって高里が神隠しに遭ったのか、帰還したあとどうなったのかについては、『魔性の子』の時点で考えていました。当時は書く予定などなかったし、「·····だったりして-」というレベルのものだったんですが。

 

Q14 成長した泰麒などが描かれていましたが、今回のイラストをご覧になった際の感想は。

A 1巻の表紙を拝見して、「こんなに立派になって」と。

Q19 「十二国記」シリーズ愛するファンに、あらためてメッセージをお願いいたします

A とにかく、長い空白にもかかわらず、お待ちくださっていた読者の皆さんには感謝の言葉もありません。一巻二巻の発売日、首都圏は台風で大変なときでした。嵐の中、販売してくださった書店の方々、駆け付けてくださった読者の方々、あるいは逆に、事故があってはと自制してくださった方々にも本当に感謝しています。ありがとうございました。

 

また、こんな記載もある。

 

あと、近年とみに記憶力が衰えているので、登場人物の名前が覚えられず……。ぜったい読者の方がよく覚えておられると思います。読者って凄い。

 

🦒🦒

逆に、読者のコメントにこういうのもあった

 

〇発売日、開店と同時に書店に駆け込んだ。18年、待ち続けた年月を感じさせないほど、鮮やかに十二国記の世界が広がってきた(33歳・女)

 

インタビューにもあるが、彼女が住んでいるのが首都圏なら、台風にも負けず朝イチで書店にやってきたのだろう。お仕事をされている方なら、有給を取ってでも書店にやって来たのだ。通販や電子書籍が発達したこのご時世にも関わらず、実物の本を手にしたい気持ちが何よりも勝ったのだ。ファンと作者がともにこの世界を守り続けていることに拍手したい。

 

🦒🦒

面白いのは、彼女がイラストレーター山田氏の表紙絵を見た感想が、読者と同じように新鮮であることだ。お二人は密接にイラストについて打ち合わせていると言うより、お互いが作品の世界観を少しずつ独自に持ち、共有しているような感覚なのかもしれない。山田氏は挿絵は小説にとって想像力の重しにしかならない、という謙虚なスタンスであったが、小野不由美氏はそうは思っていなそうだ。

 

🦒🦒

 

この巻にて、作者の初めに(魔性の子の時点で)構想していた内容は全て回収し終えたとのことである。今後のことは未定らしい。ますます楽しみにしていきたい。

 

 

 

「魔性の子」表紙のネクタイカラーは何故変わったのか?⑧最終回

(ネタバレ注意)

前回は、「魔性の子」表紙の高里のネクタイカラーが新版で変わった理由について、蓬莱から広瀬から受け継いだ意志と、同級生らの陰惨な死を忘れない気持ちの象徴と書いた。

 

白銀の墟 玄の月 第一巻 十二国記 (新潮文庫)

 

結局、ここまで書いてきた事は推論と言うよりも私の願望に過ぎない。本当の正解はわかりえない。どちらかと言うと、私から本当に伝えたいことは、十二国記シリーズが好きだという感想だ。読んだ皆と共有したいという気持ちだ。そう、十二国記は本当に面白いのだ。

 

 

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陽子がネズミと会えて救われた時はほっとしたし、王としての自覚が芽生えた瞬間は震え、周囲の民と一緒にひれ伏したくなった。全く異なるエピソードの登場人物がしれっと再登場する度にあーっと膝を叩くし、民達が苦しい目にあってる時は自分も歯をくいしばってしまう。最新作でもそうだが、作品に一貫して描かれた麾下と上司の絆ほど尊いものは無いし、信念と義に揺らぐ武人達の姿には自分を重ね合わせたくなる。あんなに小さく子どもだった泰麒が成長した姿には、「泰麒、大きくなられて…」とか言ってハラハラ涙を流したくなる。この身を投げ出して両膝をつきたい。膝行してひれ伏したい。何より、主従で結ばれた王と麒麟の絶対の信頼関係にグッとくる。2人は最高のバディだな!と遠くから拍手を送りたくなる。単なる無力で無辜の民の1人となって、共に艱難辛苦を乗り越えたくなる。そんなただの十二国記ファンだ。

 

 

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ここまで書いた、ネクタイカラーを巡る私の一連の推論は、白銀の墟 玄の月を読み進めながら書いた。この最新作を読んでいなかった当初は、別世界へ行きたがっていた広瀬の代わりに、泰麒は十二国記世界にきっとネクタイを土産に持ち帰ったのだろう程度に思っていた。彼なりの優しさと、制作陣のちょっとしたファンサービスなのだろうと。だが、最新作を読んでからは、私の中でかなり意味合いが変わった。今後、戴国の物語や泰麒の心情について新しいシリーズで描かれる事があれば、また追記していきたい。それが何年後になろうとも。

今、18年待ち続けた十二国記ファン達にようやく追いつけた感慨でひとしおだ。ファン達が待ち望んでいた時間は、作中で6年間待ち続けた戴国の民よりも長いではないか。以前ブログに書いたが、丸善ジュンク堂書店の書店員が書いた熱い冊子が、私がこの作品に出会うきっかけだった。この冊子を作ってくれた人達に感謝したいし、なんなら一緒に熱く語り合いたい。ファンと作者が新しい世界を作っていくことは、1つの村作りのようだ。前の記事でも書いたが、こんなファン達の相互作用も含めて、十二国記は面白いのかもしれない。

 

 

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話が変わるが、「サピエンス全史」には、数ある類人猿達の中で、我々現代人とと同じホモ・サピエンスが最も生き残った理由が書かれている。ホモ・サピエンス個体同士の感受性が高く、神話や宗教で同じ幻想を共有しやすく、しかもその幻想が新しい概念が流入しても書き換え安いことが、集団としての力を発揮出来た為、とされている。かなりざっくりした要約だが、ポケモンGO流行の時にも感じたことだが、私も感動や気持ちを人と共有したいし、社会に繋がりたいという欲求をもっているからこそブログを書いてるのだから納得せざるを得ない。

サピエンス全史(上) 試し読み増量版 文明の構造と人類の幸福

 

 

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泰麒ならこうしただろう、ああしただろうと妄想する余白を残してくれた作者小野不由美氏と山田章博氏に感謝だ。

「魔性の子」表紙のネクタイカラーは何故変わったのか?⑦

(ネタバレ注意)

前回は挿絵と表紙を見比べて、ネクタイの行方と意味を追った。今回は、最新作白銀の墟 玄の月から、魔性の子と繋がるシーンが僅かながらあり、そこを抜粋する。本書を手に取りつつお付き合い願いたい。

 

白銀の墟 玄の月 第三巻 十二国記 (新潮文庫)

まず三巻p.193 泰麒の慈悲の獣としての本性を意思が押さえ付けるシーンだ。

 

それでもその岸を故郷と呼べるのは、たった一人、居てもいいと言ってくれた人がいたからだ。これからの彼が耐えねばならない苦難と悲嘆、生きるために凌がねばならない戦い、それを分かっていてなお、置き去りにしたのは、いま泰麒が踏んだ大地のどこにも彼の帰るべき場所はないと分かっていたから。

 

泰麒は明らかに広瀬を述懐している。そして、彼から渡された意思の力を頼みに、自信を奮い立たせている。もう1つ、王を守る獣としての本性を意志の力で押さえ付けるシーンがp. 225にもある。

 

目に浮かんだのは無機的な灰色の地面だった。殺伐とした色に敷き詰められたコンクリート、屋上からそこに至るまでの距離、それに比べれば、たかだかこれだけの距離でしかない。

 

 

魔性の子を未読の方々はぜひ読んで見て欲しい。泰麒の強い意思の背景にあるのは、蓬莱での先生との出会いと、同級生達の大量の死がある。これらのシーンは、泰麒が蓬莱から持ち帰り、彼を大きく変えた重要な要素を象徴している。それも単なる成長譚ではなく、決死の覚悟をもたらせ、国の歴史を変えた要素だ。これらのシーンは心揺さぶる名文なので、本当はもっと引用したいのだが、本文を読んで欲しいのでこれ以上書かないことにする。

 

👔👔

私は、このシーンを読んで新版魔性の子の表紙で泰麒(高里)のつけていたネクタイは、旧版表紙で広瀬がつけていたものだと確信してしまった。この表紙はきっと、海辺の街から延王と共に還るシーンのものだ。身につけていたネクタイは、高里が自身の意思で選び、蓬莱から持ち出したのだ。蝕の混乱からか確実に世界を渡って持ち帰れたか、挿絵などからは定かでない。が、土産として持ちだそうとした意思があったに違いない。制服のスカイグレイではなく、広瀬のネクタイをつけることは、彼の強い意志と同級生達の死という強烈な体験を忘れないという意思の表れだろう。広瀬のネクタイでもあり、同級生達が手首に巻き付けられていたネクタイでもあり、赤色は彼らの血の色でもあるのだ。そうに違いない。

 

👔👔

泰麒が法や規範を犯して人のネクタイを盗むようなことをするか、という気もする。ただ、最新刊では麒麟自らそれらを破る。ならば、ネクタイくらい持ち出せてもおかしくない。陰惨な過去のあった世界を、故郷と呼べるまで広瀬を慕っていた証だと思いたい。

 

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もちろん、これらの考察はてんで的はずれなことを書いてるかも知れない。新版魔性の子平成24年(2012年)出版であり、白銀の墟 玄の月三巻の出版された礼和元年(2019年)とは7年もの隔たりがある。ネクタイの色の違い作者の小野不由美氏はそこまで考えた上でイラストレータ山田章博氏に依頼していたのかは分からない。ひょっとしたら、逆に山田氏の新版魔性の子の表紙を見て付け加えたシーンかも知れない。だが、角を失い奇蹟の力をほとんど失った泰麒が、苛烈な運命に対して諦めることなく強い意志を持って戦えたのは、蓬莱での出来事があったからなのだ。しかも、四巻においては、彼はもっと壮絶な戦いを自らの手で進める。彼は確かに、魔性の子初版の平成3年(1991年)から28年間、一貫した人格をもち続けている。古くからの読者たちへのファンサービスのために後付けしたような、軽々しいシーンなどでは無い。伏線というより、むしろ最も筋の通った1番太い本筋だと 感じる。新しい表紙が描かれると決まった時から、あるいはもっと前から書こうとしていたのかもしれない。

 

続く。

 

 

「魔性の子」表紙のネクタイカラーは何故変わったのか?⑥

(ネタバレ注意)

 

風の海 迷宮の岸 十二国記 2 (新潮文庫)

 

新版風の海迷宮の岸 の表紙を見ると、人物の構図は三角形として、右に高里(泰麒)、左に汕子、上に驍宗だ。新版の魔性の子では同じく三角形で病んだ汕子、高里、広瀬と並ぶ。これは、高里(泰麒)の保護者が十二国記世界では驍宗であり、現実世界では広瀬であることを示すのではないだろうか。手前の2人は両方を世界を跨いで同一人物だが、上の人物だけ異なる。新版魔性の子の表紙では、広瀬は高里(泰麒)の相棒たる王でない。2人の間に隔たるように汕子がいるのは、別世界の住人への拒絶と高里(泰麒)の保護にも見える。

 

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風の海 迷宮の岸 における汕子は、泰麒の乳母であり、限りない愛情を彼に注ぐ。泰麒の敵が現れたら全力で攻撃して守るし、尊い泰麒を保護するのは当然の役目だ。魔性の子における汕子は、高里(泰麒)の周囲の人間を見えない力で攻撃する、不条理のひとつなのだが、汕子の愛情の裏返しであることを知っている我々読者にとっては、哀れみすら感じる。こんな感じで、イラストレーター山田氏は構図にメッセージを込める、もしくは読者が想像する余地を残す事をしてくれる。そんな細かい仕事をするのだから、ネクタイカラーが変わった事にも意味があるはずだ。

 

 

👔👔

やっと核心部にはいるが、高里のネクタイカラーが新版と旧版で異なる理由を以下に列挙してみた。制服ならグレイブルーのはずだ。

 

・血の穢れや泰麒自身への怨詛の象徴

・夕日などの色味で赤色に見える

・実は広瀬のネクタイ

・ただの間違い

・集団飛び降り事件で手首を結んだネクタイ、あるいはその罪悪感の象徴

 

4番目はないと信じたい。

 

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この赤いネクタイを着けた高里が、どの時系列なのか考察したい。新潮文庫を片手にお付き合い願いたい。

旧版表紙のように、彼がスカイグレイのネクタイをするのは通っている高校の制服だからだ。新版p.125の挿絵の高里がつけるネクタイは、周りの生徒と同じ色のようだ。やはり、彼がネクタイをつけるならそれは制服の色だ。途中で自主退学を選んで、わざわざ制服を着る必要もネクタイをする必要もなくなった。その決意をした頃の新版p.383の高里は普段着だ。

 

次に、蝕によって十二国記の世界に帰還する前後を見てみる。新版魔性の子p.479の挿絵において、海岸に佇む彼は制服にしっかりネクタイをしている。白黒なので色は分からない。自身が何者なのか思い出した彼は、延王に会うにあたり、そして帰還にあたり持っている中で最もフォーマルな服を選んだのかもしれない。さらに次に、黄昏の岸 暁の天p.407においては、十二国記の世界に帰還した直後はネクタイをしていない。体は倒れて襟元は腕で隠されており、かなり際どいが、僅かに見える襟元にはネクタイがない。これらのシーンは巻は異なるが、作中の時系列では完全に繋がっている。

 

続く。

「魔性の子」表紙のネクタイカラーは何故変わったのか?⑤

(ネタバレ注意)

前回の記事では、イラストレータ山田章博氏は旧版の表紙を描いた当時では、十二国記の世界をまだ知らなかったという話しをした。


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左から旧版魔性の子、新版風の海 迷宮の岸 新版魔性の子 と並べてみた。こうして見ると、なんとなく思えてくるのは新版と旧版の表紙は対になっている。手前から広瀬→高里→汕子と傲濫と妖魔→廉麟(多分)という順に並んでいる。読者の立つ側が手前であり、広瀬は読者側であることを示唆している。異世界ほど奥側に配置されており、両方の世界を行き来する高里は中央に挟まれている。作画当時、読者達と同じ知識背景を持つ山田氏が描くなら当然の構図といえる。

 

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旧版当時は、読者にとって広瀬が読者側を反映する立場だった。しかし、新版では配置は変わり、むしろ手前から高里→汕子→広瀬に変わっている。これは、十二国記シリーズを既に読んだ圧倒的多数の読者が入り込むのは、むしろ高里のほうだからではないだろうか。新版出版時に、既に黄昏の岸 暁の天まで出版されており、十二国記の世界を知っているであろう読者に向けて、山田氏が構図を変えたのも頷ける。

 

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作中で高里は周囲に疎まれ、孤立する。実は呪いなどではなく、二つの異なる世界の理の違いが生む悲劇であることを、我々読者は知っている。これは、十二国記の世界を知らない登場人物と読者からは、彼の周囲で起きる不可解な事件や事故は、不条理な呪いの結果にしか見えない。あくまで、旧版魔性の子は不条理なホラー作品であった。

 

 

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新版での魔性の子の位置づけはエピソード0だ。私は黄昏の岸 暁の天の直後に読んだが、二つの世界が鏡合わせのようにリンクしており、二つの出版が10年も隔たっているとは思えないほど密接に書かれている。十二国記シリーズとしての魔性の子は、行方不明となった泰麒の飛ばされた世界を描く、むしろ現実世界のほうが番外編であり裏設定だ。

視点が切り替わると、不条理が条理に見える。この仕組みは見事だ。蝕の影響による高潮で亡くなった数百人すら、麒麟達の活躍によって最小限の被害に抑えられた結果なのだ。現実世界からは、ひたすら不条理に晒されているように見えた広瀬も、十二国記世界からすると病んだ使役に接触し、蝕に直面しても生き残った、むしろ非常に幸運な人物に見える。ラストシーンでは、広瀬は高里(泰麒)を海岸に残して、高台へと逃げ出す。絶望的に見えたこのシーンも、ありもしない世界へ帰りたがる夢想を辞めて、辛い現実と対峙し続ける姿勢を示唆する、むしろハッピーエンドなんじゃないだろうか。

 

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話が逸れるが、作者の小野不由美氏の作品にとって、不条理とは非常に重要な要素だ。残穢で描かれた呪いは、元をいくら追ってもキリがない。屍鬼で描かれた惨劇は、普通の人間にとって自然災害のように不条理だった存在である吸血鬼が、途中から立場が入れ替わり人間側から不条理な目に遭わされる。作者は登場人物に愛着を持たず、淡々と酷い目にあわせる天才だ。それでいて、読者はその不条理に喘ぎ抗い立ち向かう人達を応援したくなる。漫画寄生獣の作者である、岩明均はそのあとがきで、人物の心情に寄り添えばストーリーは自ずと動き出す、とよく言われる手法がまったくあわなかったと述べていた。むしろ、ストーリーに合わせて人物を作るタイプであり、彼の作風も登場人物を容赦なく淡々と悲惨な目にあわせる。なんなら、登場人物達も恋愛や殺人に対してすらクールで淡々としている。だからこそ、時おり描かれる感情が爆発するシーンに心を動かされるのだ。


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次回は、新版魔性の子の表紙が、風の海迷宮の岸の表紙とも対になっている話しをしたい。

 

「魔性の子」表紙のネクタイカラーは何故変わったのか?④

(ネタバレ注意)

今回は、旧版表紙で赤ネクタイを付けた広瀬の役割について書く。イラストレータ山田章博氏は、十二国記シリーズの挿絵や関連商品のイラストを30年近く務めている。次の文は、2014年(平成26年 新版出版より後)に出版された、彼の十二国記関連の絵を収めた画集「久遠の庭」冒頭の文章からの引用だ。

 

久遠の庭 「十二国記」 画集 (第一集)

 

一九九一年、晩夏。

係属する作品を持たない単独のホラーとして新潮文庫より『魔性の子』が出版され、そのカバー絵を描かせていただいた。この時はまだ、これが背景に十二の王国にまつわる巨大な物語群を背負った動因である事を、読者も挿画家も知らない。

 


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この文の左ページには旧版の「魔性の子」の表紙絵が載せられている。ちなみに、手元にある講談社文庫ホワイトハート版には表紙以外に挿絵はなく、当時唯一の挿絵がこの表紙だった。


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山田章博氏にとっても読者にとっても、高里の正体は見知らぬ世界の見知らぬ生き物である。赤ネクタイの広瀬が、異質な生き物である高里を驚きの表情で見つめている。この時、広瀬は読者と同じ立場にあった。つまり、異世界という憧れて止まない世界から来た高里に対峙する、平凡で普通の世界の人間だ。

 

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主人公である広瀬の役割は、読者の代弁者だ。自分のいるべき場所はここではない、もっと幸せになれる場所が何処かにあるはずだ、そんな所に行きたいな、という夢見がちな、悪く言えば現実逃避したい弱い心の代弁者だ。

広瀬は最後まで十二国記の世界には行けなかった。しかも、共に夢見る仲間と思っていた高里は、広瀬を残して本来いるべき世界に帰ってしまう。このストーリーは、2010年代から量産されつつある、いわゆる異世界転生ものへの強力なアンチテーゼとも言える。もちろん、当時はそんなジャンルはなかったが、ハイファンタジーというもっと伝統的な作品分野は出版当時の91年より前から存在した。作者は広瀬の高里に対する卑しい嫉妬心を通して、華やかなファンタジーや美しい異世界に憧れる人達に、残酷で汚く辛い現実を突きつける。君たちが夢想するような、ファンタジー異世界などありはしないよと。実在したとしても君たちには行けないし、無関係な世界なんだよ、と。

 

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山田章博氏の話に戻そう。彼は「久遠の庭」でこうも書いている。

 

 

確かに「十二国記」は安逸遊冶な夢物語ではない。だからこそ少女向けレーベルに入れる意味があると説得されて、僕の役目はおのずと決まった。この小説を出来るだけポップに見せかけることだ。

 

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夢見がちな少女という読者層に、辛い現実を突きつける。表紙はそのための罠だ、とも読み取れている。ものすごい発想だ。当時、山田章博氏を説得したという人物は恐らく担当編集者だろうか。作品の本質を鋭く見定めた戦略家だったのだろう。事実、この魔性の子の裏設定とも言える十二国記の世界は、その後長期シリーズとなり、当時起用された挿画家はその後30年近く担当され続ける事になる。

 

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さて、新版の表紙にも登場する広瀬はネクタイが赤からストライプに変わっている。そして、高里は本来制服として着けるべきスカイグレイから赤に変わっている。新版の出版は2012年(平成24年)だ。もちろん、この時点で既に高里の正体どころか、彼が本来住むべき世界は戴国であり、麒麟として戴王を選び台甫として国を最近支える役目、そのストーリーを読者も山田章博氏も知っている。表紙を新たに描きおろす際の、彼の意図はなんだったのだろうか。

 

続く

「魔性の子」表紙のネクタイカラーは何故変わったのか?③

(ネタバレ注意)
改めて、新版と旧版の表紙を見比べよう。

旧版 平成3年
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新版 平成24年
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旧版表紙にある高里のネクタイカラーが、本文通りのスカイグレイだ。この文は新版にも旧版にも共通している。


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ここで、教育実習生広瀬の服装に注目したい。新版も旧版も背広は深緑色だ。この色の描写は文中にはない。前回にも書いたが、イラストレータ山田章博氏が新版表紙を描く際、旧版表紙を参考にした説は濃厚だ。しかも、広瀬のネクタイカラーは旧版の赤色だったものが、新版はストライプに変わっている。
次からは、彼の作中での役割と、新旧の読者の違いから考察したい。


👔👔
ちなみに、平成9年に出たドラマCDのパッケージイラストにおける高里はノーネクタイだ。
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続く