頭皮の毛穴と言う毛穴にびっしりとつまった角栓様物質を見て考えた消費と生産のあり方⑧―賢い消費者のあり方―
複数の毛穴に同時に角栓様物質が存在し、分布は局在化している。
つまり角栓様物質の詰まった毛穴が似たような場所に偏って存在している。
こういう場合は根こそぎ取り出すより、大きいものだけ選んだほうが後々より大きい角栓様物質をゲットできる。
さて、前回述べたように、美容業界はあの手この手で宣伝してくる。
それらには、思春期の子どもたちにコンプレックスを植え付けるようなものも含まれる。
「シャンプー市場」「リンス市場」「トリートメント市場」の3つから構成されるヘアケア剤市場は、12年度で4000億円近い市場規模を持つ。
子どもらは将来の消費者だ。
年齢が若い層に対して、あるブランドのいいイメージ植え付けておけば、その層はのちのち長年にわたってそのブランドにいいイメージを持ち続けるだろう。
会社にとってそういったリピーターは売上を安定させ、市場そのものを拡大させために重要な存在だ。
少しでも多く獲得したいのだろう。
だからといってコンプレックスに漬け込む売り方など言語道断だ。
大人であっても、同様の傾向をもつ消費者は数多く存在する。
ここでいう大人とは、自身の収入によって自立した生活を送る存在である。
大人になってからも印象によって商品を選ぶようなやり方を続けていると、子どもが真似をする。
真似をするというより、そうした選び方が普通なのだと自然と思いこんでしまう。
将来を担う消費者だからこそ、具体的な数字によって商品を選び、印象だけで飛びつかないことを覚えていって欲しい。
そのために、消費者庁をはじめとする政府機関は会社に対するルール作りだけでなく、教育の力によって消費者に訴えかけていく手段を取っていくべきだ。
全八回にわたって長々書いてきたが、そういう広告を疑う目を持とうということが言いたい。
みなさんがよりよい角栓と出会えることを祈る。
頭皮の毛穴と言う毛穴にびっしりとつまった角栓様物質を見て考えた消費と生産のあり方⑦―劣等感の誘発が市場を滅ぼす―
頭皮がやや赤みがかっている。
写真中央上部に小さめの角栓様物質がうつっている。
私たちが最も怒りを感じるのは、思春期を迎えた学生のコンプレックスを刺激する洗顔料などのCMだ。
コンプレックスを刺激する宣伝は、前回書いたように大なり小なり「神の見えざる手」に反対している存在だといって過言ではないのではないか。
ニキビがあるとモテないなどと誰が決めた。
脂症が不潔などど誰が決めた。
なぜ同じメーカーがワックスを売り、いっぽうで脂を落とすシャンプーも売るのか。
ワックスを使うと、毛穴にワックスによる汚れがつくのではないのか。
シャンプーの宣伝文句に、ワックスが悪者であるかのように書いてあるではないか。
その洗顔料を使えば本当に肌がきれいになるのか。
そもそも「きれいな肌」とはなんだ。
脂っけやニキビのない肌のことを指すのか。
誰がそんなことを決めた。
ただでさえ第二次性徴のころはホルモンバランスが崩れ、髪質や肌質が変わる。
ニキビはどうしても発生するといってもいい。
思春期を迎えた人達なら多くの人たちが経験することだ。
さらに異性の目を気にしだし、おしゃれに目覚める頃だ。
体の変化に対して最も敏感になる年ごろだろう。
そんな子どもらのコンプレックスに漬け込む宣伝ははっきり言って悪質だ。
自らの感覚によって商品を選ぶというより、周囲からの目を気にする自意識や劣等感に突き動かされて買わされているように見える。
消費者を舐めている宣伝方法だといえる。
生産者は粗悪品を作り、宣伝によって消費者を扇動し、得た利益はさらなる粗悪品の開発と扇動のための宣伝費に使われる。
前回へ続く。
頭皮の毛穴と言う毛穴にびっしりとつまった角栓様物質を見て考えた消費と生産のあり方⑥―具体的な数値のない広告―
小ぶりだが細い毛がひっついているのがいい。
「効果は個人差によります」という注意書きが大嫌いだ。
個人差があるのは当たり前だ。
本当に商品を売り出す自信があるなら、その個人差も含めて全てグラフ化し、他商品と同じ条件で実験して比較し、品質がいいということを証明すればいいのだ。
品質が悪ければ、値段を下げるなり、量を増やすなりすればいいのだ。
サンプル数が多ければ、つまり実験対象の人数が多ければ、その個人差がどれくらいかも具体的に掴めるだろう。
実際、そういった実験を経てリリースされているはずである。
薬も食べ物も、世の中の商品のほとんどは、得られる効用に個人差がある。
みなそれをわかって購入しているし、だからこそ好き嫌いがある。
嫌いなら買わなければいいし、好きなら大金払っても買えばいい。
消費行動は強制されてするよりも、自らの感覚を信じて行うほうが世の中を良くすると信じている。
商品の売り上げには消費者の素直な感覚が反映されているほど、次に売り出される新商品はより私たちの感覚に訴えるものが作り安くなるからだ。
そういったモノがあふれれば、もっと素敵な世の中になるだろう。
「神の見えざる手」によって、市場はいい品が粗悪品を排斥していくべきだ。
消費者の行動によって粗悪品を売る生産者は倒産し、いい品をつくる生産者だけが生き残るべきだ。
だが、消費行動を強制しようと働く力がある。
それがコンプレックスを煽る宣伝である。
次回へ続く。
頭皮の毛穴と言う毛穴にびっしりとつまった角栓様物質を見て考えた消費と生産のあり方⑤―化粧水の中身―
これは大きいが高さが低い。毛穴の中に潜り込んでいる。
美容業界や育毛業界は私たちが大好きな毛穴の拡大写真を食い物にしている。
個人的な偏見だが、そもそも美容業界は宣伝に具体的な数値を書かなさすぎだ。
肌がつやつやした美人のプロモーション映像や、異性に嫌われるニキビ顔の学生のイラストや、髪の毛がフッサフサになったおじさんなど、印象とイメージだけで宣伝をうっている。
特にネットで広告を出す会社は特にその傾向が強い。
このブログのところどころにひっついている広告もそういった美容関係の広告の一つだ。
「ブランド力」とかいう謎の力によって売り上げを伸ばそうとしている。
高級そうなボトルに入った化粧水の製造にかかったコストのうち、一体何割が宣伝費なのだ。
高級そうなボトルの中身1リットルあたりの原価などコーラの原液と大差ないのではないか。
服飾業界もそうだが、複数のブランドがあっても中身は同じということがしばしばある。
高級なボトルに入った化粧水も、親しみやすいカラフルなボトルに入った化粧水も、中身は一緒だということを私たちはしばしば目にする。
どう考えても効果は一緒だろう: プラシーボ効果を除外すれば。
値段と購入層は上から下まで大きく異なるにもかかわらずだ。
なにが「効果は個人差によります」だ。
人体に個人差があるのは当たり前だ。
次回へ続く。
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頭皮の毛穴と言う毛穴にびっしりとつまった角栓様物質を見て考えた消費と生産のあり方④―広告としての頭皮―
髪の毛に引っ張られることで形状が特徴づけられている。
広告で使われる写真の信ぴょう性など怪しいものだ。
汚い頭皮もきれいな頭皮も、簡単に作り出せる。
シャンプー直後ならきれいに見えるし、きれいな個所だけ探して撮影すればいいのだ。
逆にシャンプーして一晩も経てばあっという間に頭皮は角栓と古い角質にまみれる。
一番汚い個所を見つければ、こんな写真いくらでも撮れる。
事実、シャンプー直後でも大きな角栓が見つかることはいくらでもあるし、シャンプーから時間が経っても見た目のきれいな個所はいくらでもある。
「使用前」「使用後」の写真を掲載しているネット広告を注意深く見て欲しい。
はたして具体的な撮影条件を書いた広告がいくつあるだろうか。
具体的な撮影条件とは、「シャンプー後何時間経過したか」「頭皮のまったく同じ個所を同じ角度で撮影したのか」「普段の肌質は脂症か乾燥肌か」「サンプル数は何人分か」ぐらいは書いておくべきだ。
そうでないなら、「使用前」「使用後」の比較など何の意味も持たない。
商品の効果を宣伝するためだけに撮られる頭皮の拡大写真はいくらでもある。
そんな毛穴の写真に、私たちはなんの魅力も感じないだろう。
ここからは個人的な偏見だが、そもそも美容業界は宣伝に具体的な数値を書かなさすぎだ。
次回へ続く。
頭皮の毛穴と言う毛穴にびっしりとつまった角栓様物質を見て考えた消費と生産のあり方③―あなたは自身の頭皮を拡大してみたことがあるか―
いいサイズだ。品評会があったら出展したいくらいだ。
頭皮がしっとりと濡れているのが奥ゆかしい。
さて、前回の続きだが、美容業界の宣伝に頭皮や肌の拡大写真がよく使われる話をした。
これらの写真にどれほどの信ぴょう性があるのだろうか。
この記事を読んで頂いている読者の中にどれほどの割合で自身の頭皮や肌を拡大してみたことがあるのかはわからない。
しかし、世間において多くの方は自らマイクロスコープを買ってまで見ようとは思わないだろう。
美容業界はそういった人々の心に入り込もうとする。
汚い肌や毛穴が如何に悪者かを吹聴し、不安をあおり、コンプレックスを刺激し、購買意欲をかきてたさせる。
自分の頭皮もこうなっているのではないかと考えさせられる。
実際に自分の頭皮を見たことがないにも関わらずだ。
むしろ見たことがないからこそ不安になるのだろう。
私から見れば、どんな毛穴も、どんな肌も、どんな頭皮も愛すべき存在である。
次回へ続く。
頭皮の毛穴と言う毛穴にびっしりとつまった角栓様物質を見て考えた消費と生産のあり方②―「使用前」と「使用後」の写真―
毛穴と毛穴の間の頭皮はかなりきれいだ。古い角質もない。角栓様物質はそれでも存在する。
ちなみに前回の写真を撮ったタイミングの直後であり、違う個所の頭皮である。
つまり洗髪してからかなり時間の経過した頭皮だ。
さて、前回は洗髪していない 状態の頭皮と、洗髪直後の状態の頭皮との違いについて述べた。
なぜこんな解説をしたのか?
あなたたちがこういった頭皮や肌の写真を目にする機会は限られている。
つまり、美容に関する話題の時だ。
化粧品や育毛、増毛といった美容業界は、しばしばこういった肌の拡大写真を宣伝に用いる。
それは多くの場合、二つのケースの比較による宣伝だ。
つまり、言いかえればそれは商品の「使用前」と「使用後」だ。
「使用前」の写真は汚く、脂でまみれ、毛穴には見るからに汚らしい角栓が詰まっており、髪の毛は今にも抜けそうな寒々としたものばかり写っている。
いっぽう、「使用後」の写真に写る肌は美しく、ハリがあり、みずみずしく、無駄のない毛穴と生き生きとした髪の毛ばかり写している。
そして、キャプションではいかにその商品の使用によって肌がきれいになり、髪の毛は力強く育ち、あなたたちの美容にいかに役立つか、美辞麗句を並べたてる。
これらの写真にどれほどの信ぴょう性があるのだろうか。
今回あげた写真はぱっと見キレイだ。
しかし、前回あげた写真との違いは撮影する箇所が違うだけだ。
他の条件は同じだが、少し違う場所を探すだけでまったく印象の異なる写真が撮れる。
そのことを知って欲しいから、洗髪していない 状態の頭皮と、洗髪直後の状態の頭皮との違いについて長々と解説した。
「使用前」「使用後」で使われている写真の違いなど、その程度でしかない。
次回へ続く。